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私のパソコン遍歴
黎明期
初めてさわったコンピュータは大学の情報教育センターのMELCOMの 端末でした。4年生になって研究室に配属されてからは専ら研究 室にあったNECのPC-8801/PC9801でした。
MS-DOS期
大学院に進学したときに生協で売りに出ていたEPSONの PC-286Vを手に入れ私のパソコン遍歴が始まりました。当時、後継機種のPC-286VEが出た直後で286Vが 投げ売りされていました。
当時はMacintoshは非常に高価で、主流はやはりNECの98シリーズ でした。286Vを使ってTeXで学位論文まで作りました。 286-10MHzでは、論文全体をタイプセットしようとjLaTeXをかけはじめてからコンビニに買い物に行って帰ってきてもまだやって いるような状況でした。
大学院修了とともにPC-286Vを売り払い、PC-386noteA(386-16MHz)に 買い替えましたが、20MBのハードディスクにVzエディタ、Turbo-C++、 QuickBASIC、TeXその他をインストールしてまだデータ用の 領域が充分にありましたからのどかな時代です。
Macintosh期
インペリアル・カレッジの研究室では一人一台Macintoshがあてがわれ ました。私にあてがわれたのはMacintosh IIcx+21inch Monocro Display でした。しかし一歩研究室を出るとそこはPC/AT互換機+MS-Windows の世界です。私はPC-386nAにWindows3.0を載せ、HDDも40MBになりました。
そして混沌の中へ
岡山にやって来た私は以前からの念願であったMacintosh IIciを 買いました。おかげで車は1300ccクラスになってしまいました。 結婚するとなぜかEPSON PC-386Sがついてきました。 NEXTSTEPを自宅でも動かしたくてAT互換機を買いました。 PC-386SはWindows3.1も堪え難いぐらい遅く、PC-386Sの所有者に 踊らされてNEC PC-9821Nx(ノート型)を買わされました。 IIciの頭はいつのまにかPowerPC601になっていました。
PC-UNIXの福音
大学では大型計算機の端末として使う場合など、まだまだ98(Windows98ではなくNECのPC9801のこと)で ないと不便なことも多く680×0のMacintoshだけでなく386ベースの98互換機も 使っていました。 そうこうするうちにMacintoshはQuadraになりPowerMacになっていきました。 同時に自前のワークステーションやらAT互換機やらも増え、 MicrosiftのOSもMS-DOSからWindows3.1を経てWindowsNT/Windows95に なっています。そしてとうとうこれら雑多な機械やOSの上で、仕事が できる統一的な環境を維持していくことに疲れ果ててしまったのです。
- お絵描きをするにはMacintoshがなければ話になりません。
- 数値計算用のプログラムの作成にはVzエディタと98キーボードが 手放せません。
- ところが作ったプログラムはWorkstationでないと 基本的なデバッグもできません。
- 数式入りの論文を奇麗に印刷する にはTeXかMathTypeかWord数式かの選択を迫られます。
- 数値データの加工にはawk/sed/perl/sort/uniqといったunix上の コマンド群が欠かせません。
- 加工したデータを絵に描くには DeltaGraphとかCricketGraphがないと話になりません。
どうしたらいいのでしょうか?
ふとまわりを見渡すとWindows95が走るまでに増強されたAT互換機が あるではありませんか。
そうだPC-UNIXがあったのだ!
数値計算プログラムの作成から数値データの加工までは NFSやrコマンドを使えばシームレスに環境を作れます。 エディタはemacsもあればviもあります。 データのグラフ化にはpoorman’s mathematica, GnuPlotがあるでは ありませんか。TEXも動くし、あとはMacintosh上の アプリケーション並のDrawソフトがあれば完全に統一された ひとつの環境で仕事ができるのです。 そうして私はPC-UNIXを使うべしという結論に達したのです。 LinuxもFreeBSDも試してみました。そうして結局NEXTSTEP for Intelを選んだのです。
NEXTSTEP for Intel
思えばはじめてNeXTの実物をさわったのは1991年Imperial College の学生寮のようなところで売りに出ていた中古のNeXT station colour でした。3000ポンドぐらいの値がついており買おうか買うまいか ずいぶん悩んだものです。
結局NEXTSTEPを選んだ理由はやはりあの感動を今一度と思ったのと、パッケージソフト の存在です。 重厚長大な論文ならTEXがいいでしょうが ちょっとした予稿程度ならやはりWYSWYGのワープロの方が 便利ですし、Draw/Paint/Spread Sheet/などすべてPDSで 賄うには相当の労力がかかります。でも結局のところ 私自身がXに親しんでいないというのがすべての理由かも しれません。
私の性癖
私がXを使わない理由
以前私はMacintoshの上でXのエミュレータ(eXodus)を使っていました。 あるとき研究室のrootがやって来て「fridge(MEICO社製マルチプロセッサ)の 上ではXを使うな」と言ってきました。fridgeはみんなの数値計算サーバでした から、もっともなことです。 「じゃあ、おまえはどうやってんだ」 「おれなら、NCSA Telnetのセッションを複数開くね」 ということで、私はXを使わなくなったのでした。
私がviを使う理由
私は普段viを使います。研究室の他の人達は「あんなん使いにくい」と ほざきますが、私はviを使います。muleは使えるようにしてありますが muleに関する質問には答えません。(「単にemacsをようつかわんだけやろ!」 確かにそのとおりでもあります。) あるとき研究室のrootがやって来て「fridge(MEICO社製マルチプロセッサ)の 上ではemacsを使うな」と言ってきました。fridgeはみんなの数値計算サーバでした から、もっともなことです。 「じゃあ、おまえはどうやってんだ」 「Macintoshと組み合わせればviで充分だ、ようしおまえには 特別にMcSinkを進呈しよう。」 ということで、私もviを使うようになりました。
OPENSTEPの終焉とJobsの復帰
OPENSTEP for Intelに満足した私は、ずいぶんと長い間使い続けました。その間Windowsは98-NT-Me-2000-2003と着実に安定し、普及し、君臨していきました。同時にスカリーは迷走し、アメリオは失敗し、リンゴは腐っていきました。そんな慌ただしい変遷を横目で見ながら、古くて遅くて狭いAT互換機でOPENSTEP for Intelを使い続けたのです。
ところが、あの男が帰ってきたのです。あの男は全てをなかったことのように打ち捨て、そして創造を開始しました。
そして現在
私はMac OS Xに全ての環境を移動させました。Pagesでドキュメントをつくり、Numbersで予算と成績を管理し、講義や学会にはKeynoteをもって出かけます。絵はOmniGraffleとIllustratorで描き、ほとんどの時間をOPENSTEP由来のPDSとTerminal.appの上で過ごします。Mac OS XサーバとiMacを中心に組まれた研究室のネットワークシステムは快適です。
頼む、頼むからiPhoneだのiPadだのといって私の平安をかき乱さないでくれ。