SST Lab Dokuwiki Header header picture

ユーザ用ツール

サイト用ツール


misc:モンティ・ホール・ジレンマ

文書の過去の版を表示しています。


モンティ・ホール・ジレンマ

はじめに

私がこの問題に初めて接したのは,おそらくMartin GardnerのAha! Gotchaではないかと思う. そのころ既に大学生でなっていたか,まだ高校生であったか,いづれにせよ相当昔のことになるので,今となってはこの問題の解答をどのように納得したのか定かではない. あの本を頭から読み進めてこの問題に遭遇したとすると,モンティ・ホール・ジレンマ程度では余り悩まず,意外とすんなり納得したのではなかろうか. Aha! Gotchaにはもっと納得し難い問題が多く掲載されている. その後大学で一通りの数学を修め,仕事でもダイナミカル・モンテカルロ法の計算を行っているぐらいであるから,「厳密に前提条件が設定された」モンティ・ホール・ジレンマの解について納得できないなどということはない. 前提条件さえ明確かつ単純であれば数学的にはBayesの定理をつかうまでも無い簡単な問題である. しかしながら,前提条件が不明確または複雑な場合,認知心理学や情報理論の問題として,また確率ゲーム演出法の問題としても非常に面白い問題になっている. (確率ゲーム:人はこれをギャンブルと呼ぶ) この問題では事後確率という数学としては若干厄介な問題を扱うため前提条件が狂うと容易に暗中模索の様相を呈することになる. しかも何が重要な前提条件かを理解していない一知半解の回答者が伝言ゲーム的に次の出題者になるため,数学の問題としても複雑怪奇な問題にすり替わっていく危険性さえ有る. この問題における重要な前提条件は「何を事象とする確率を議論するのか」と登場人物の行動原理すなわち「事象の連鎖の法則性」とを明確にしておくことである.

ところで,巷間伝えられるモンティ・ホール・ジレンマはどういうわけか「扉」と「車」と「山羊」とで構成されているのだが,どうもその問題が私の記憶と違っているような気がする.そこで比較的オリジナルに近いと思われる問題,少なくともオリジナルな「物議を醸した問題」に近いと思われる問題をhttp://www.cut-the-knot.org/hall.shtmlから引用してみよう.

Suppose you're on a game show, and you're given the choice of three doors. Behind one door is a car, behind the others, goats. You pick a door, say number 1, and the host, who knows what's behind the doors, opens another door, say number 3, which has a goat. He says to you, “Do you want to pick door number 2?” Is it to your advantage to switch your choice of doors?

なるほど, 私が記憶しているものとは少し違うようだ. どこが違うかは別稿に譲るとして,確かに物議を醸しそうな情報の隠蔽が行われている. 特に重要な司会者(host)の行動指針について触れられていないのでいろいろな誤解を招いてもおかしくはない. しかし,山羊(goat)はちゃんと2匹いるし,司会者は扉の裏をちゃんと知っているように読める. 素直に考えれば「選択する扉を1から2に変更すると,車が当たる確率は2倍に増える」という答えになるだろう.

[略解]

最初に選択した扉1が当たりのとき司会者が扉3を開ける確率は1/2.
扉2が当たりのとき司会者は扉3を開けるざるをえないので確率は1.
扉3が当たりのとき司会者は扉3を開けることはないので確率は0.
司会者が扉3を開けたという条件下での扉1が当たりの確率は(1/2)/(1/2+0+1)=1/3.
扉1がはずれ,すなわち扉2が当たりの確率は(1)/(1/2+0+1)=2/3または1-1/3=2/3.

Bayesの定理を使って確率を求めるのに確率と確率との割り算なんてのをしているので違和感があるかもしれない. そこでちょっと方便を弄してみよう.

[方便]

同じ番組が6○回あって回答者は毎回扉1を選んだとしよう. 回答者が選んだ扉を扉1と名付けたと思ってもよい. ○には百でも千でも萬でも億でも×1023でも適当なものを入れて欲しい. 大きければ大きいほど方便ではなくなる. 何万回も同じ番組をやっているというのは想像できないが.

最初に選択した扉1が当たりの回数は2○回でそのうち司会者が扉3を開けるのは1○回
扉2が当たりの2○回,司会者は扉3を開けるざるをえないので司会者が扉3を開けるのは2○回
扉3が当たりの2○回は司会者が扉3を開けることはないので司会者が扉3を開けるのは0回
全体では6○回のうち1○+2○=3○回司会者は扉3を開けることになる.あとの3○回は扉2を開けるわけだ.
したがって,司会者が扉3を開けた3○回のうち扉1が当たりの回数は1○回,確率は1○回/3○回=1/3.扉1がはずれ,すなわち扉2が当たりの確率は1-1/3=2/3.

なぜこの説明が解答ではなく方便なのかは,確率に対する著名な誤解に由来する. たとえばコイントスのような確率二分の一の事象を考えよう. これをよく「二回に一回の割合で起こる」などと表現する. この意味がわかっていない者の伝言ゲームにより「二回に一回起こる」になってしまうと確率二分の一とは似ても似つかぬものになってしまう. コイントスを何度も何度も繰り返せば,コイントスを繰り返した回数と表が出た回数の比が二分の一に収斂するというのが確率の正しい解釈である. もちろんインチキ無しのコイントスの場合であるが.

一般論

さて,モンティ・ホール・ジレンマという問題がどのように誤解されるかを考える前に,まずこの問題を一般化した形で考えよう. 回答者が扉1を選択したところ,司会者ははずれである扉3を開けて見せた. この時点での扉1があたりである確率をあつかうことにする. ただし,司会者は扉1を開けることも,扉2と扉3とで当たりの方の扉を開ける事もないとする. まず,扉1,扉2,扉3がもともと当たりの確率をp1, p2, p3とする.当然p1+p2+p3=1である.扉2もしくは扉3が当たりのときは司会者には選択の余地は無く扉3もしくは扉2を開けなければならないが,扉1が当たりのときだけは司会者は扉2か扉3かのどちらを開けて見せてもよい.このようなとき,司会者は確率q2で扉2を,確率q3で扉3を開けるものとしよう.もちろんここでもq2+q3=1である. 扉1が当たりで扉3を開ける確率はp1xq3
扉2が当たりで扉3を開ける確率はp2×1=p2, 扉3が当たりで扉3を開ける確率は0×1=0, 扉2を開ける場合も含めて表にすると表1のようになる.

           表1

       扉2を開ける 扉3を開ける 
扉1が当たり  p1×q2    p1×q3   p1
扉2が当たり   0       p2   p2
扉3が当たり   p3       0    p3
     計 p1×q2+p3  p1×q3+ p2  1

そこで扉3が開けられたという場合に限って扉1が当たりの確率を考えると(p1×q3)/(p1×q3+p2)ということになる.納得できない場合は先の方便を思い出していただきたい.これはもともと扉1が当たりの確率p1とは似ても似つかぬものになっている.すなわち司会者が扉3を開けることによって司会者が扉3を開ける確率という新しい情報が加わり扉1が当たりの確率は変化するのである. ところがp1=p2=p3=1/3, q2=q3=1/2の場合には (1/3×1/2)/(1/3×1/2+1/3)= (1/2)/(1/2+1)=1/3となり,これは元の確率と等しい.ちなみに,確率が変化しない,すなわちp1= (p1×q3)/(p1×q3+p2)となる条件はq3=p2/(p2+p3)である.上記の条件は確率が変化しない条件の中でも特に対称性の高い条件で,むしろ数学的センスというか直感力に優れる者ほどその対称性の高さゆえに「エレガント」な解を見つけようとし,最も対称性の高い確率1/2という陥穽に陥るのかもしれない. しかしながら,この問題は見た目の対称性の高さとは裏腹に非常に複雑な問題を内包している.というよりも,上記のように複雑な問題の非常に対称性の高い特異点なのである.特異点といってもこれは単なる比喩で,実際には何かが発散するわけでも何でもないが.

ANOTHER モンティ・ホール・ジレンマ

何故,まちがえるのか,もしくは混乱するのか,もしくは納得できないのか

確率の基礎を学んだ人ならほとんど間違えないような問題からはじめよう.とある高校を想像して欲しい.この高校の各学年の生徒数が男女別に

    男子 女子  
1年生  200  200  400
2年生  200  200  400
3年生  200  200  400
  計  600  600 1200

となっていたとしよう.この高校から高校生を一人無作為に抽出したとしたらその高校生は何年生であろうか.もちろん 1年生, 2年生,3年生の確率はそれぞれ1/3である.それではその高校生は男子か女子か.男子である確率も女子である確率も1/2である.ここで無作為に抽出した高校生が女子であることがわかったとしても学年の確率に対してはなんの変化もない.そこでちょっと半端な数にして約分できなくしてみよう.たとえば,

    男子 女子  
1年生  238  229  467
2年生  211  233  444
3年生  201  249  450
  計  650  711 1361

となっていたとしよう.この高校から高校生を一人無作為に抽出したとしたらその高校生は何年生であろうか.当然,1年生の確率が467/1361, 2年生の確率が444/1361,3年生の確率が450/1361である.また,男子である確率は650/1361,女子である確率は711/1361である.ここで無作為に抽出した高校生が女子であることがわかったとする.この時点で,この女子高校生は何年生であろうか.この場合には母数が変わってきて 1年生の確率が229/711, 2年生の確率が233/711,3年生の確率が240/711ということになる.学年を当てるというギャンブルをするならば,この例では微々たる違いではあるが,無作為に選んだ段階では1年生に賭け,その高校生が女子だとわかった時点でもし変更が許されるならば3年生に賭け直すべきである.抽出された高校生の性別の決定という情報により母数が変化し,確率も変化するのがおわかりいただけるだろうか.確率が変化しないのは最初に述べたような場合,もう少し一般的には,各学年の男女比と男女別の学年比がそれぞれ一定であるような場合だけである.たとえば

    男子 女子  
1年生  100  200  300
2年生  200  400  600
3年生  300  600  900
  計  600 1200 1800

としてみよう. 無作為に抽出した高校生が,1年生の確率は男子でも女子でも1/6, 2年生の確率は1/3,3年生の確率は1/2,男子の確率はどの学年でも1/3,女子は2/3である.このような特殊な場合には情報によって確率が変化しない.正確には変化した後の確率がもとの確率と等しくなるのである.モンティ・ホール・ジレンマはこのまた特殊な場合になっている. こんな例はどうだろうか.実はこの高校,2年前までは女子高で3年生には女子しかいない.昨年共学にしたところ,男子の受験者が殺到して2年生は男子ばかりになってしまった.ようやく今年になって男女の比率が一対一になった.すなわち

    男子 女子  
1年生  200  200  400
2年生  400   0  400
3年生   0  400  400
  計  600  600 1200

というような場合だ. 無作為に抽出した高校生が何年生であるかの確率は等しく1/3であり男子か女子かの確率も等しく1/2である.ところが,それが女子だとわかった途端に1年生か3年生でしかあり得ず,しかも3年生である確率は1年生である確率の2倍になる. さて,表のすべてのセルの情報が与えられていれば確率を求めるのは簡単なことなのだが,例えばこんな風に情報を隠蔽したらどうだろうか.

    男子 女子  
1年生  ???  ???  400
2年生  400   0  400
3年生  ???  ???  400
  計  600  600 1200

このように情報が隠蔽されていても, 無作為に抽出した高校生が何年生であるかの確率は等しく1/3であり男子か女子かの確率も等しく1/2である.また,それが女子だとわかった途端に1年生か3年生でしかあり得ないこともわかるが,さてその女子高生は1年生だろうか3年生だろうか. もう少し情報量が増えて

    男子 女子  
1年生  ???  ???  400
2年生  400   0  400
3年生   0  400  400
  計  ???  ??? 1200

であればどうだろう.抽出した女子高生が1年生である確率は多く見積もっても1/2,少なく見積もれば0もあり得る.まさにこの場合がモンティ・ホール・ジレンマに対応している.何れにせよ性別が判るまでは何年生に賭けても同じだが,女子だと判れば3年生に賭けたほうが有利である. このような問題を考える場合,左上3行2列の情報がすべて明らかな場合は問題は生じないが,その一部が不明瞭,もしくは隠蔽されている場合は答えが求まらないことになってしまう.

モンティ・ホール・ジレンマは何故理解し難いのか

何故,まちがえるのか,もしくは混乱するのか,もしくは納得できないのか.

まず,簡単な確率計算ができないというのは論外として除外しておこう.

第一には確率を定義する際の誤解であろう.数学であつかう確率と日常生活で使う確率という言葉の意味の乖離である.確率という言葉のあいまいさと言ってもよいかもしれない.数学で確率をあつかう際には必ずとある事象の確率を問題にする.どんな事象に対する確率を扱うのかということを常に明確にしなければならない.たとえばモンティ・ホール・ジレンマであつかわれる確率はあくまで参加者が選択した扉が当たりである確率であり,参加者が車をあてる確率ではない.よくある誤解は,司会者が扉を開けた後でいきなりつれてこられた(すなわち経緯を知らされていない)参加者にとっては確率1/2であるというものがある.そんなことはなく,いきなりつれてこられた参加者の前には当たる確率1/3の扉と当たる確率2/3の扉があり,経緯を知らされていなければどちらがどちらかが判らないため確率1/2で選択するとすれば結果として当たる確率が1/2になるのである.決して経緯を知っている参加者と経緯を知らない参加者で各扉が当たりの確率が変わるわけではない.

第二には問題設定のあいまいさである.高校生の例題で見たように情報が不明確であったり隠蔽されているとこの問題は不能になってしまう.モンティ・ホール・ジレンマならば司会者の行動原理がそれに当たる.実際には隠蔽された情報は回答者の頭の中で無意識のうちに補われる.もちろん伝言ゲームよろしく問題に明示されていても回答者の頭の中で別の条件にすり替えられることもあるだろう.この問題を,人間は合理的なもしくは論理的な結論をにわかに信じられないことの例として扱うことがあるようだが,それは少し違うのではないか.むしろこの問題の教えてくれることは,あたりまえのように見えても正しい前提条件を注意深く設定することがいかに重要かということではないかと思う.

第三には問題の特殊性にある.モンティ・ホール・ジレンマは一般化された問題から見れば特殊な例題になってしまっている.対称性をうまく使った定性的な説明は,いかに正しかろうがなかなか納得してもらえない.数学の醍醐味はその一般化と抽象化にあるのはもちろんだが,対称性のよい簡単化のためにもともとその問題が持っていた一般的性質を持たなくしてしまっているためではないだろうか.モンティ・ホール・ジレンマの解答を納得させるため,100個の扉を持ち出したり,選ばなかった扉をグルーピングして考えたりするのは,対称化された問題については正しいかもしれないが,各扉の当たりの確率を同一ではなくした一般化した問題については当てはまらない.

最後に常識との乖離,しかも相反する常識が存在するゆえにその効果は上記の条件と相まって拡大される.既に決定していることの確率は後から何か条件が変わったからといって変化しない,という常識と,新たな情報や状況の変化によって常に確率は変化するものだ,という常識である.どちらも常識であって真理でもなければ事実でもない.(この文章「常識」「真理」「事実」の各語が常識的な意味で使われていないので注意.単なるレトリックです) ちなみに真理や事実は相反してもらってはこまるが,常識とされるものはしばしば相反する.たいがい「それも一面の真理ではある」などと使われたりする.真理が相反してはまづいだろうと思うのだが,たいがいこのような表現がされるときには,それは「真理」について述べているのではなく,まさに「常識」的な行動や価値判断に関して使われる.「相反する真理」というのは文学的には面白いが論理学の問題ではない.事実が相反するとき,それは単に双方の事実を同時に説明することができる理論や解釈を見いだしていないだけにすぎない.(その理論が「相反する真理」認めるという理論で……とか言い出すときりがないのでやめておこう.単なる言葉遊びにすぎない.)

閑話休題. この二つの常識と問題の対称性の高さから解には0, 1/3, 1/2, 2/3, 1しか関係しない(確かにその通りなのだが)という数学的センスが混乱を引き起こすのである.

非対称な問題

さて,扉の向こうに賞品がある確率が1/2,1/3,1/6であったらどうだろう.問題はこうだ. あなたの前には大中小三つの葛籠がある.この葛籠の一つだけに賞品が入っている.大きな葛籠の中には確率1/2で熊のぬいぐるみが,中くらいの葛籠の中には確率1/3でルイ・ヴィトンのバッグが,小さな葛籠の中には確率1/6でダイアモンドの指輪が.あなたが一つの葛籠を選ぶと,雀の格好をした司会者が残った二つの葛籠のうち空っぽの葛籠を開けて見せてくれる.但し残った二つの葛籠の両方が空のときは,司会者は二つの葛籠のうち一方を無作為に選んで開けるとする.司会者が葛籠を開けて見せた後,あたには選択を変更するチャンスが与えられる.あなたは何でもいいから賞品を持ち帰りたいと考えているとしよう.さて,最初にどの葛籠を選ぶのが最も有利だろうか.

解1

残った二つの葛籠の両方が空のとき,司会者が二つの葛籠のうち一方を無作為に選んで開けるというのは,テレビ番組の演出としてはちょっと無邪気にすぎるだろう.そこで,司会者は盛り上げるために残っている二つの葛籠のうちより小さいほう,すなわち値段の高い賞品が入っている葛籠を開けるとしてみよう.

解2

逆に,司会者は盛り上げるために残っている二つの葛籠のうちより大きいほう,すなわち値段の安い賞品が入っている葛籠を開けるとしたらどうだろうか.

解3

司会者がどちらの演出を採るかは司会者の芸風に依存するだろうが,スポンサーとしては前者を選びたいだろう.

misc/モンティ・ホール・ジレンマ.1525828982.txt.gz · 最終更新: 2022/08/23 13:34 (外部編集)

Donate Powered by PHP Valid HTML5 Valid CSS Driven by DokuWiki