例えば、「第2章 ハミルトニアン」の最初の文章を見てみましょう。
Any theoretical description has to start with the definition of the system under consideration and a determination of the fundamental interactions present in the system.
これを、予習しようとすると、
をやっておかなければなりません。
ところが皆さんは泥縄式に、端から順に見ていき、知らない単語の意味をせいぜい一つ調べて、あとはいい加減に作文しておしまいです。詳しく、ちゃんとノートに、予習している人ですら、大概はこんな風なことがノートに書いてあるだけでしょう。
Any theoretical description has to start with the definition of the system under consideration 理論上の 記述 定義 考慮 and a determination of the fundamental interactions present in the system. 決断 基本的な 相互作用 現在の
その上で、「この文章を説明してください」というと、平気で
「どんな、理論上、の記述、も、考慮している、システムの定義、とシステム、の現在の、基本的な相互作用、の決断、から始まらなけれればならない。」
と言う風に応えてくれます。句点は、まさに皆さんが言葉を切るところにつけてあります。また、受け答えの最後の部分は声が小さくて聞き取れません。(ちなみにこの文章は我が研究室のホープ、駅西都翻矢君(仮名)の答えです。)
問題はいくつか在りますが、最大の問題は英語ではありません。日本語の会話として成り立っていない点に在ります。これを称して、「最近の若いもんはコミュニケーション能力が・・・」というわけですが、これ自身は単なる爺の愚痴で戯言にすぎません。しかしながら戯言なのは「最近の」「若いもんは」の部分で、「コミュニケーション」の部分に関しては戯言ではありません。
一般に皆さんは、英語(外国語)の訳だというだけで日本としておかしげなものでも全く気にしないようですし、先生の質問に対する回答だというだけで、会話として成り立たないような応対でも全く気に留めないようです。上の例なら、普段「始まらなければならない」なんて言いますか。もちろん日本語の表現としてあり得ない表現ではありません。でもそんな表現はしないでしょ。「相互作用の決断」ってのも変ですよね。「ほにゃららのほげほげ」というのは「ほにゃららがほげほげする」という動作を体言化したもので、「相互作用」は「決断」しないでしょう。それに「相互作用」に「現在」やら「過去」やら「未来」があるんか。