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Deutschland

Köln

さて、翌日はKöln観光です。朝一番でDusseldolfからKölnへ各駅停車の旅です。 なんで各停かというと、単にホームにある時刻表の見方がよく判らなかったんですね。 KölnにつくとすぐさまTourist Informationに飛び込んで今晩の宿の確保です。 KölnのTourist Informationはアムステルダムとは対照的に結構ぶっきらぼうですが、 そこは論理性と合理性を旨とするドイツ民族、所要時間や宿の選択、予約に関しては 凄まじく迅速かつ合理的です。

「あのー、Hotelの予約をしたいんですが」
ケルンの市街図を広げて、
「ここはxxマルク、ここがxx、こっちはxxマルク。どれにする?」
「じゃあ、そのxxマルクのやつ」
すらすらとFormに記入。
「場所はここ。xx時までにチェックインしないとキャンセル。手数料は3マルク。」
3マルク払いながら、
「この地図もらっていいですか?」
「どうぞ」

あのアムステルダムでの2時間半待ちは何だったんだろうか?

宿は市街地からちょっと外れていたのでひとまず荷物はコインロッカーに入れて 一足先にDomの塔に登ることにしました。 ケルンの大聖堂の塔に登る一番良い時間は夕方だそうです。夜景がすばらしいらしい。 当然夏は大聖堂が閉まるまで外が明るいので駄目ですが。 夜景に未練が無ければ塔には朝登ることをお勧めします。
1.朝はまだこんでいないので自分のペースで登れる。
2.朝はまだ元気なので登り続ける気力が維持できる。
途中で、はっきりいっていやになりました。えんえんと続く螺旋階段。 体力よりも気力が持ちません。

幻の「ロンドン通信」より

Bonn

Bonnに着いた私はまず何はともあれ広場のベートーベン先生の銅像に拝謁します。 ベートベン先生の横顔を眺めながらまたもやMilch CafeでMilchを飲んだ後、 「ベートーベン先生の家」を訪問します。 余談になりますが、以前focus誌上(Fridayだったかもしれない)で指揮者の佐渡豊氏 (元阪大オケのトレーニングを引き受けてくださっていた新進気鋭の若手指揮者)が バーンシュタインから 「困ったときはこの人に相談に行きなさい」 といわれて紹介されたのがこのベートーベンの銅像だったと思います。1)

(中略)

さて、「ベートーベンの生家」は非常に小さな本当に普通の家です。 5マルクを払って中に入りますと、中はちょっとした博物館になっています。 思ったよりも彼の自筆の楽譜等は数が少なく、彼や関係者の肖像画や 彼が敬愛して止まなかったであろうモーツアルトの楽譜などが展示されています。 音楽愛好家にとっては古楽器の展示が興味を惹くところでしょう。

幻の「ロンドン通信」より

Düsseldorf

Düsseldorfに着くとまずはTourist Informationを訪れます。 新しい街につくとまずTourist Informationを訪れるのが ヨーロッパの旅の鉄則といえるでしょう。 地図も手に入りますし、宿も探せます。なによりここだけは必ず英語が通用します。

デュッセルドルフでの宿はユースホステルです。アムステルダムからユースホステルに電話をして場所を確認しました。

「トレインで行くんですが、どこで降りたらいいですか?」
「デュッセルドルフ中央で降りて、そのあとxxx番のバスに乗ってください」
「すぐ判りますか」
「バスストップの前です。すぐ判ります。」

問題はデュッセルドルフ中央駅のバス乗り場の方でした。どこにあるんだろう。 で、最初に書いたようにツーリストインフォーメイションに飛び込んだわけです。
「バス停はどこ?」
「そこ」
おやまあ、間抜けですね。

言われたとおりバス乗り場で行き先案内を食い入るように見ていますと
「日本からですか?」
「えっ、ええ、まあ」(なんて日本人的受け答え)
「どこまでですか」
「このユースなんですが」
「ああ、そこなら一緒です。私もう随分長くそこに滞在してるんですよ。」
Düsseldorfで職探しをしているという日本人のねえちゃんでした。 Düsseldorfは日本人が多いと聞いてはいましたが、これほどとは思わなかった。 おかげでここでは日本語の新聞が手に入りました。 「うーん、やっぱりえらいことになっとるなあ」2)

幻の「ロンドン通信」より

1)
これは当時の記憶違い。佐渡さんがバーンシュタインに紹介されたのはウィーンの方の銅像でした。
2)
このときソ連ではかのゴルバチョフが軟禁されるとかいうクーデターが起きていたのでした