目次

Göteborg Computer Network始末記

はじめに

Chalmersに滞在した際、日本から2台のノートパソコン (Power Book G3(以下PB)とARMADA M300(以下AT))を携えて行きました。念のため にUTPケーブルも2本持って行きましたので、ネットに接続するのに困ることはな いだろうと思っていましたが以外と手こずり、定常状態になるまでにほぼ一週間 を要しました。以下はその顛末です。

Carlo君の受難

8月15日(火)にGöteborgに到着し、翌8月16日(水)は午前中国際会議にもぐりで 参加した後は博士課程の学生Carlo君の案内でLundqvist教授の研究室に到着。 数いる学生のなかで貧乏くじを引くことになったCarlo君はこの後我々がネッ トが使えるようになるまで散々悩まされることになりました。

秘書のIng-Britt小母さんに連れられて、8月24日まで休暇をとっているKARIN 嬢の部屋へ案内されたところ、その部屋には2個口のUTPコネクタがあり、その 一つには既にSUNのワークステーション(ss10) が接続されていました。

しばらくすると会議に来ていたネルスコフを空港まで送っていたLundqvistが 帰って来て、ワークステーションを使うためのゲストアカウントをくれました。 ところがこれがさっぱり使いものになりません。 やっぱり自分の機械をネットに接続するのが先決のようです。

Carlo君によると新しい機械をネットに接続するにはMACアドレスの登録が必要 のようです。そうすればどこのコネクタにつないでもネットが使えるというこ とです。2台の機械のMACアドレスを確認した後、 Carlo君に頼んでadministratorにメールを出してもらいました。

混沌への招待

数時間後、そろそろいいかなと思ってまずはネットに つながず、ATとPBを起動し、DHCPの設定を行います。ATはMS-Windows98でを 設定することにしました。

IPの設定をDHCPにして、SS10のUTPケーブルを引っこ抜き、2台のノートパソコ ンを接 続しようとすると、SS10がNFSサーバが見つけら れないとのエラーメッセージを出し続けています。

さて、エラーメッセージを出し続けるss10は放っておいてもいいのですが、やっ ぱり五月蝿いですからSTOP-Aで止めておくことにし ましょう。

さあここからが本番です。2つあるUTPコネクタのうち上側(これまでss10 が接続されていた方、今後#1ポートと呼ぶことにします)にATを下側(もともと 空いていた方、今後#2ポートと呼ぶことにします)にPBを接続し起動しました。

ATではMS-Windows98を起動しましたが、ATもPBもともにネットワークを認識し てくれません。PBのほうはあらぬIPアドレスが割り振られており、Windowsの ほうは何が起こっているかも皆目検討がつきません。そこでPBは相方に任せて 私はATのほうに集中することにしました。

まず、Windowsではほとんど情報が得られませんからLinuxを立ち上げることにし ます。Linuxではすんなりとつながりました。PBと格 闘していた相方はというと、やっぱりまだIPアドレスを取得できずにいます。

そういえばOPEN TransportのバグでDHCPではうまくIPアドレスが取得できないと いうような記事がどっかに載っていたような。何にせよ固定IPアドレスの方が無 難だと考えネットワーク管理者に一つでもいいから固定IPアドレスをくれないか mailを出すことにしました。

もちろん出すのはAT上のLinuxから日本の研究室のWebサーバを経由して、同じく 研究室のmailサーバから出すわけです。こう書くとなんかいけないことをやって いるみたいですが、なんのことはないWebメールシステムです。このために導入 したんですから。

ここでちょっと状況を整理しておきましょう。(出た!状況整理の鬼、読者の味方・ 著者の敵)

固定IPアドレスさえ入手できればPBはなんとかなるでしょうし、Windowsで動 かないのはきっと私がWindows上でのネットの設定に習熟していないためだろ うと考え、この日は大学を後にし、宿に戻ったのでした。

Karin嬢の憂鬱

翌日(8月17日(木))、telnetだけは使えるようなので岡山の研究室のマシンに ログインしてみることにしました。Fire wallの出島越しにログインは成功し ましたが、遅い!なんて遅いんだ。昔の300bpsでやってたころを思い出してし まいしました。やっぱり持って来た機械をつなぐか、まっとうなアカウントを もらうかしかないようです。そうこうするうちに昼になりました。この日はホ テルを移ることになっていたので午後は一旦新しいホテルに向かうことにしま した。相方を買物に送り出し私だけ大学に戻ると机の上に何やらメッセージが 置かれています。

なになに、この機械をリモートで使っていてローカルにファイルを置いている 奴がいるから起動してネットにつなげとけってか? なんてこった。また難題が 増えてしまったようです。これまではWindowsとMacintoshがDHCP経由でIPアド レスを取得できない(Linuxではできるのに)という「ソフト」な問題だけだっ たのが、残った一つのUTPコネクタに2台の機械をつなぐためのHub/Switchを手 に入れるという「ハード」な問題まで出てきたのです。これが我が研究室なら 研究室のネットワーク管理は自前ですから、昔使っていた古い10Baseのリピー タハブの2、3個はすぐに出て来ますが、ここではそう簡単にはいきそうにあり ません。

とりあえずss10を復帰させることにしましょう。#1ポートは我がATが占領して いますから、#2ポートにss10をつないでss10を再起動しました。あれれっ、サー バーが見つからないというエラーメッセージが繰り返されています。もしかし て・・・。#1ポートのケーブルを引っこ抜いて#2ポートのケーブルを#1ポート に突っ込んでみると・・・。嘘のようにエラーメッセージは収まりました。 Carlo君の部屋にいって(やっぱりここにも二つのUTPコネクタがあります)、下 のポート生きてる?と尋ねると、生きてるはずだ、と言いながら自分のSUNをも う一つのUTPコネクタにつなぎ換えてみました。やっぱりつながっていないよ うです。この現象はCarlo君の理解を越えていたようで、斜め向かいの部屋に 駆け込みました。状況を聞いた斜め向かいの住人(バスク出身のポスドク、名 前は失念した)はこともなげに、下側のポートは動いてないよ、管理者に連絡 して開いてもらわなきゃあ、と宣わったのでした。私はついでに3台目のネッ トワーク機器を使いたかったらどうしたらいいんだと尋ねてみましたが、それ は彼にもわからないようでした。

Nicolas氏の福音

ともあれ#2ポートが動かないことには管理者への連絡(E-mail)もままなりませ ん。我々がいる部屋の#2ポートを開けてもらうべく電子メールの原稿をしたた め、私の代わりに電子メールを管理者に送ってくれる人を探しました。秘書の Ing-Brittおばさんに頼むと、彼女はちょうど帰るところで、代わりにNicolas 氏に頼んでくれました。

メールの原稿に目を通したNicolas氏は「君のやりたいことをどこでやればいい かはわかっているんだ」と言うと彼の部屋のロッカールームの扉を空けて見せ てくれました。おお、何とそこにはCiscoのL2 Swichが鎮座し、各部屋のUTPコ ネクタと繋がっているUTPコネクタが並んでおりそれらが線で繋がっています。

その通り、これが知りたかったんよ。

見ると確かに我々の部屋の#2ポートから来ているUTPコネクタにはケーブルがつ ながっていません。L2 Swichにはあと一つだけ空きポートがありますから、ここ にケーブルをつなげば#2ポートは使えそうです。Nilson氏に余分のUTPケーブル は余ってないか尋ねてみましたが、無いとのことでした。ところが私は2本のUTP ケーブルを持っているではないですか。部屋に戻ってPB用に使っていた持参ケー ブルを取り出し、これでL2 SwichとUTPコネクタをつなぎます。次いで、部屋に とって返しATとUTPコネクタをつなぐと・・・。

ブラボー!接続できました(まだLinuxだけですが)。

しかしこのままでは1台しかネットが使えません。 なんとかss10も使えないものか? X over the sea も試してみましたがとても使用には耐えません。 やっぱりHUBか何かが必要ですね。

状況を整理しておきましょう。 このフロアのネットワークは

+ーーーー ニコラス氏のロッカー ーーーー+       +ーーーーーーー 各部屋 ーーーーーーー+ 
|                  |       |                   |
|       シスコのスイッチ====コネクタ====コネクタ====ワークステーション    |
|                  |       |                   |
+ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー+       +ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー+ 

のようになっています。

現状と問題点

応急処置

解決法

といわけで電子メールで(やっぱり日本経由です)管理者に予備のHubとUTPケーブル2本を依頼しました。

翌日(8月18日(金))、相方のPBを昨日使えるようにした#2ポートにつないで起 動してみると、見事IPアドレスを取得しネットにつながりました。どうやらPB でDHCPが使えなかったのはOPEN Transportのバグ等ではなく、単に線がつながっ ていなかっただけのようです。

この日は午後の定例ミーティングで我々の研究内容等を簡単に紹介することに なっていましたのでOHPを作らねばなりませんが、さてプリンタはどこにある のでしょう?Carlo君からプリンタのある部屋と、その名前は教えてもらったの ですが、どないやって使うねん!案ずるよりなんとやらで、PBのセレクタから Laser Writerを見てみると教えてもらった名前のプリンタが見えます。試しに プリントしてみるとちゃんとプリントできました。なんだEther Talk接続の Apple Talkプリンタだったのね。

結局ミーティングが終った後も管理者からの連絡はなく、一日を終えたのでし た。さあ、週末だ!観光に行くぞ!

ネットのある幸福

観光客モードから戻った月曜日(8月21日)午後になってネットワーク管理者が 数本のUTPケーブルと4ポートのリピータハブを携えてやって来ました。これで 全部がネットにつながるぜ。

HUBをつけてAT(Linux)とPBを起動すると両方ともちゃんとネットに接続されま した。特にLinuxの方はifconfigとnslookupで割り当てられたIPアドレスとホ スト名が簡単に判明しますから制限された権限しかないゲストアカウントでも ss10をATのX端末として使うことができます。やっぱり800×600しかないARMADA の液晶画面よりSUNの19インチCRTのほうがいいですからね。(実はこの文章も SUNをLinuxのX端末にしてxemacs+cannaで書いています。)

やっとこれで問題解決かな? おっとそういえばまだMS-Windows98でネットにつ なぐことができていませんでした。

・・・しばしWindowsと格闘・・・

だめです。 あきらめました。

残る問題はプリンタですが、PBからはちゃんと(な んと日本語も!Macintosh偉い!)印刷 できるわけですから。これで一応定常状態 ですかね。予想していたよりはてこずった感がありますが、来てから次の月曜日 に定常状態になったということでよしとしましょう。

8月23日(水)、やっぱりちょっと甘かったようです。うーん、Linuxから印刷し たいぞ。印刷のたびに、PBにポストスクリプトファイルをFetchしてMacGSに食 わせて印刷するのは結構骨です。でもこのATは完全にクライアントのみとして 使うつもりだったのでtelnetdやらftpdみたいにデフォルトでインストールさ れるサーバプログラム以外はインストールしていないんですよね。しかたない のでネットからnetatalkのrpmパッケージを落して来てインストールしました。 これでApple Talkプリンタに印刷できます。

終りに

先週の水曜日に到着してここまで1週間、定常状態になるまで結構かかってし まいました。今後どこかに行くときには小さなHUBとケーブルも余分に持って 行くことにするか、事前に十分打ち合せておくことが必要ですね。(もちろん パソコンなど持って行かないのが一番ですね。)

番外編

8月25日(金)、来週からKarin嬢が休暇から戻って来るということで我々は図書 室に移ることになりました。そこで部屋を下見に行くと状況としては同じです。 そこで帰る前にNilson氏のロッカーに行って線をつなぎ替え、図書室の#2ポー トにHUBをつないでおきました。(やっぱりここも#1ポートにはss10がつながっ ていました。ここのキーボードはUSキーボードです。)

さて、月曜日(8月28日)に図書室にやって来て相方に線を差してもらい、さあ使 おうとすると相方のPBはつながっているのに、私のATはつながりません。なん でー? HUBを見るとATの方のUTPケーブルはUPLINK共用ポートにささっています。 そらあかんは。

教訓:ネットは人任せにしてはいけない。線の端々まで自分で確認すべし。