====== レベルの低いこんなことやあんなこと ====== 実は、このページ、とあるページにダミーのリンクを張るためだけに存在してるんだけど、折角((日本語の中で、「せっかく」って言葉がいちばん嫌いだ。「せっかく」が人間だめにする。「せっかく」が社会を不幸にする。))見てくれたからちょっとしたレベルの低い読み物を置いときますね。まあ、他のドキュメントのラベル((レベルの言い間違い。決してエチケットでもなければレッテルでもない。))もにたりよったり((むったりやったり、一般項を求めよ。おいおい))だという気はするんだけど。 ===== 少女漫画 ===== 大学時代、ええ歳こいた男が少女漫画雑誌を読みあさるという奇っ怪な現象が流行した。 「りぼん」を読むものあり、「なかよし」を読むものあり、はたまた「マーガレット」を読むものまでが存在した。 今ではそんな過去を封印し、みんないい**おっさん**になっているはずである。 ときには足を踏み外したまま今に至るものがあり、ときどき新聞沙汰になったりもする。 私の場合、それは白泉社の「花とゆめ」((「花ゆめ」はかの「ガラカメ」が連載されていたころなんでまあ許されるんだけど))と「LaLa」((「ララ」はいかんよなあ、「ララ」は。対象年齢が低すぎる。))であった。 中でも川原泉は出色。 少女漫画家の常として、極一部の作家を除くと作家生命は短い。 川原泉の私生活など知る由も無いが、あれ((あれってなんや?あれって。))が最後の作品になるとしたら残念なことである。(おいおい勝手に引退さすなよ。) 白泉社「LaLa」の執筆陣の中でも大の男が読むべきでないものの筆頭が「ひかわきょうこ」ではないだろうか。 ちなみに学生の時には、かの「藤臣君と・・」シリーズ((これ読む男はまあいないよな。えー、みんなあ引かんといてーな。そんなキモいもん見るような目つきで・・。))から何からすべて所有していた。 現在保有しているのは「荒野の天使ども」とその続編および「彼方から」である。内容的には導入を除けば正統的なファンタジーであり、私の守備範囲といえる。 最後どう結末をつけるのかは気になっていたが、結構スマートに決着をつけており、ほっとしている。 かのレイアースみたいなのだとストレスがたまるからね。 ===== 太陽の牙ダグラム ===== 東京12チャンネル系のアニメーションを地方(含大阪)で見るのには大きなリスクが存在する。 まず、放映曜日時間はしばしば瞬間移動する。 それどころか最後まで放映されない可能性がある。 等といっても私が語ることができるのはこの「太陽の牙ダグラム」と「戦国魔神ゴーショーグン」の二つだけだが。 「ゴーショーグン」についても書きたいことは多いのだが、まずは「ダグラム」である。 高校生の時に放映が始まったのだが、なんせ前述のように放送放映時間が瞬間移動するため、しばしば見逃している。 その上、KBS京都では突然の放映打ち切り。 忘れた頃にテレビ大阪で放映。 既に大学生となっていた私はもうテレビアニメは見ない生活になってしまっていた。 なんせ、当時下宿にはテレビがなかった。 それでもたまにどこかしらで目にする機会があり((あのころの一人暮らしにおいて銭湯の役割は大きかった))、あのよくできた予告編と周期的に挿入されるダイジェストのおかげでほぼストーリーは把握できた。 時が移り、下宿にテレビもビデオも揃った頃、大概の見逃したテレビアニメはビデオレンタルで借りて見ることができるようになった。 しかし、あのダグラムだけは二度と見ることはなかった。 あきらめた。 忘れた。 そして今、かつてのテレビアニメのリマスタリングの流行。 アマゾンで「太陽の牙」の文字を見たときの驚きはいかばかりか。 マウスカーソルがショッピングバスケットに重なり、クリックする指を止めることはできなかった。 ===== 水野良 ===== 水野良ってのは僕らの世代が育て損なった作家なんだよね かつて、ウィザードリーやらウルティマやら火吹山の魔法使いなんてのが巷を席巻した時代があった。 といっても一般人が住まうまっとうなところではなく、大学とよばれる座敷牢での話である。 彼・彼女らは「ネクラ」と呼ばれ、「オタク」と呼ばれ、みんな「マルビ」であった。 その中でも特に「コア」な連中が、取り憑かれ「廃人」と化していった。 上質の麻薬はすべて輸入物であり、せいぜいが輸入物によく似た模造品であった。 彼らは自らの「吉川英治」を、「司馬遼太郎」を、「開高健」を、「椎名誠」を持たず、自らの「トールキン」を欲していた。 そんなとき、彼らの機関紙「戦うパソコン雑誌」((おいおい何と戦うんや?っていう突っ込みがお約束だった。この雑誌未だに売ってんだねえ。))に登場したのが、「ロードス島戦記」だったのだ。 システムこそ輸入物であったが、そこに展開される世界観は紛う事無き国産ファンタジー世界であった。 もちろん判っていた。そこには「トールキン」ほどの高尚さはなく、その作家には「椎名」はおろか凡百の使い捨て推理作家ほどの文才もないことは。 しかし、読書子の最高の楽しみは作家を育てることである。「吉川英治」がどうやって育てられたか、伝説にも知らない。 「司馬遼太郎」がいかに「司馬遼太郎」になったかは今や伝説である。 「開高健」をどのように育てたかは、団塊の世代にいやというほど聞かされた。 そして、我々は見たのだ。「椎名誠」が「開高健」になるところを。 育ててみたい。それまで日本にはいなかった**専業**((専業でない人は一応いたんだよね。で、その人たちが一番息が長かったな、結局。))の正統ファンタジー作家を。「ロードス島戦記(灰色の魔女)」、確かに小説技巧は稚拙、人物描写は浅薄、情景描写は平板であった。 しかしながら、売れた。いや、「売れた」のではない「買った」のだ。 当時月刊誌では既に連載の第二部が始まっていた。 何としてでも自分たちが育てたと言える作家が欲しかったのだ。 それがなあ、あれではなあ、・・・。 ===== 逆説の日本史 ===== 井沢の出版ペースも最近落ちてるなあ。 勤務先内喫茶店で昼飯をとっていたころ、週刊ポストをよく眺めていた。「逆説の日本史」はそこで知ったわけだが、こういった「ちょっと眉唾な歴史モノ」は大好きである。古田武彦だとか矢切止夫だとか関裕二だとか((こんなふうに十把一絡げにすると怒られるだろうけど))。もちろんほとんど信用しているわけではない。彼等の説はオッカムの剃刀でそぎ落としていくと後にはほんの少ししか残らない。ただし、後に残ったものについてオーソドックスな歴史解釈は何も答えてくれないのも事実である。 ===== 黒猫の三角(ただし漫画版) ===== 線形代数の講義で必ずこの話をします。 森博嗣はほぼ読んでいる。だいたい推理小説についてはちょっとうるさいのだが、島田荘司が二三冊書いてやめてしまった、新しいタイプの「本格」ものを、より大衆化した感じが結構読ませる。ただしこっちは「本格」もののメタファとも言える「犀川+萌絵」ではなく、「紅子+保呂草」シリーズの中の一品。こうゆう漫画化ものはあまり趣味ではないのだが、かみさんにのせられて買ってしまった。絵柄はだいたいイメージ通りで、原作からの逸脱も無し。普段から原作ものの映像化(画像化)に関して、キャラクタのイメージや、原作からの逸脱を咎めているものとしては褒めざるを得ないのだが。まあ、読んで損はない。何度も読み返すことはなかったが。 ===== 英語教材 ===== Stephan Fry氏朗読のハリー・ポッターシリーズ。 すべて持っている。ヒアリング教材としては初級編。 米語版ではなく、必ず英語版でなくてはならない。 この歳になるとちまちました活字を追うのはつらいのよ。 誰かが読んで聞かせてくれるのがとってもありがたい。 某社の「追跡」。売り文句通り「中級編」なんだけど「上級編」の「ゲームの達人」よりもずっと面白い。「ゲームの達人」のほうは再構成版なのかな。とても世界的ベストセラーとは思えない。もちろん「追跡」のほうは、ストーリーだけでなくオーソンウェルズの朗読のほうも(というか**ほうが**)すばらしい。このシリーズを英語教材としてではなく単なる娯楽として聞く家庭というのもちょっと珍しいかもしれない。 グラナダTV制作のシャーロック・ホームズシリーズは、NHKのBSでたまに放映されていたころからのファンである。 英語のヒアリング教材としてはもっとも難易度の高いものだと思う。 原作に忠実なものから、ひどく脱線したものまであり、小説としての長さや小説で扱われる時間の長さがまちまちな原作を同じ時間に納めるのがいかに大変な作業かを思い知らされる。((ホームズやってた俳優さん、死んじゃったんだってね。合掌。)) で、今かみさんと一緒にはまっているのがNHKのリトルチャロ。もちろんこいつは初心者編なんだけど、けっこうこれがバカにできない。チャロぐらい英語がしゃべれたら御の字やんけ。いやーチャロってうちの学生さんより賢いンとちゃあうか。 ===== Matrix ===== 一言で言うと、第一作目は傑作。あとは駄作。 一作目を見たときは本当に驚愕した。\\ 「こいつら(監督兄弟)、ビョウキや」\\ もちろん褒め言葉である。(ちなみに私の最上級の褒め言葉は「人間ちゃあう」である。) ちなみに、ちなみに、 | |褒め言葉|貶し言葉| |原級 |アホや |アホか| |比較級|ビョウキや |ビョウキ直せ| |最上級|人間ちゃあう|てめーら人間じゃねえ| となっております。 ---- しかしまあ使い回しが過ぎるコンテンツやな。初出はいったいいつのことやら。ご意見ご感想お待ち申し上げます。